近藤 嶺 official blog

 アルバム収録曲の“着うた”が登録されたので、皆さん試しにダウンロードしてみてください。僕は対応機種持ってないので、試聴すら出来ません。というわけで、ダウンロードできた方は、よかったらどんな感じだったか教えてくださいな。何となく“うた”が着信音で流れてくると場所によってはちょっと恥ずかしいような気がしますが、「Eternal Mirage」はインストなのでそういう心配もたぶん、ないです。

 そんなことはともかく、人間の頭の重さは体重の8分の1くらいらしいので、僕の頭は6〜7kgくらいだと思うのだけど、最近これが重くて重くて、首が疲れてしょうがない。首から上を取り外して洗濯機で洗ったらスッキリしそう。あー、でも洗剤漬けでぐるぐる回されるのは過酷だな・・・。

 女子高生が制服着たまま旅行カバンをひいて犬の散歩をしていたのを見かけた。一体彼女はどういうシチュエーションだったのだろう。そういえば世間はゴールデンウィークとかいうものらしいんですが、あまりにも遠い世界の話です。先月末はクラブイベントに顔を出したり、ライブに遊びに行ったりと、それまでの引きこもり状態から少し解放されて、いろんな人とお話する機会があったので、自分のモチベーションは上昇中ですが、とりあえず、眠いです。ドラえもんの「寝なくても疲れないクスリ」がほしい。

  そんな中、前からライブや音楽制作にも使えるようにと購入検討していたPowerBookが新しくなったので、買い換え。OSも乗り換え。ソフトが足りない。使い慣れない。しかもなぜか関係ないはずのネット環境まで不安定になったのでバタバタとしています。

この「バタバタする」という表現は、とても便利な言葉です。バタバタ。「忙しいです」とはちょっと違う。よくわからないけど、気分がごちゃごちゃしてる時には、とりあえずバタバタなのです。反対語はなんだろう?「ゴロゴロする」?考えてみます。

 コンピュータを使う仕事ばかりになるとどうしてもピアノが下手になるので、なるべく時間を見つけて、ピアノの練習をするように心がけています。前書いたように、中でもバッハを久しぶりに弾いてみて、自分の指のボロボロさ加減にゲンナリしていたりします。でも、バッハはとつとつと弾いていると気分が落ち着くので不思議です。ショパンやドビュッシーは、その音楽の響きやメロディーの美しさを耳で味わう魅力がありますが、バッハはそれはもちろん、まず楽譜を見てその構成美や数学的な緻密さを目で味わう魅力があります。

 美容院に髪を切りに行ったらオダギリジョーの様な髪型(?)にしてもらったので(残念ながら顔は元のままでしたが)、ちょっとイメチェンっぽくて良い気分だったのですが、僕一人ではスタイリングがうまく出来ないので、一度お風呂に入ったら再現できませんでした。なので、結局イメチェンしてません。ちなみに、顔も変わってません。

 今までほとんど、DVDはレンタルばかりで買うことは珍しかったが、衝動買いで1万円くらい使ってしまった。でも観る暇ない。それにしても、注意していないうちにDVDソフトがとても安くなっていて驚いた。音楽CDより安い物もたくさんあるのね。気に入った映画なんかは、何回もレンタルして観るより買ってしまった方が合理的だなぁ。でもDVD集めにハマってしまうと、お金がどんどん飛んでいきそうだし、終いには贅沢なサラウンドセットとか大きなテレビとか欲しくなりだしそうで危険なので、自分の将来のためにも、壊れかけたテレビとプレステで質素に楽しむ程度に留めておきたい。

 DVDと言えば、先日買ったドラえもんの雑誌に、過去のドラ映画の予告編を集めたDVDが付録で付いていたので超はりきって観てみたところ、第一作の「のび太の恐竜」から最新作「ワンニャン王国」に至るまでの流れで、どんどんとアメリカナイズされていく様が見て取れて、実に興味深かった。アメリカナイズというか、ハリウッドナイズか。カットの入り方とかCGの使い方はもちろんのこと、音響の臨場感でこれだけ変わるのだなぁ、と実感させられた。まさか、ドラえもんの付録でこれを実感させられるとは思わなかった。この流れの先で“ドラえもんらしさ”が失われてしまわないことを祈るばかりである。

 ニャンちゅうのお姉さんが変わっていた。あまりに突然のことで、まだ心の整理がついていない。

 また朝型の健康的な生活が続いている。朝、無駄に早い時間に目が覚めて、夜寝るのが小学生並みに早い生活サイクル。世間はもうすっかり春で暖かくなったことだし、爽やかでなんか良くない?(↑語尾上げて)と思ったのも束の間、まだこのリズムに慣れないせいか夕方になると微妙な眠気に襲われ、報道ステーションが始まる頃には意識が無くなり始める。

しかも、今まで頭の中が音楽制作モードになるのはいつも夜中だったので、昼間はなんだかんだではかどらなかったりして、結局一日の作業効率を考えると、夜型の生活の方が仕事率が高かったことに気付いた。で、そうこうしてるうちに、結局締切などに追われ寝れなくなるから、また夜型の逆転生活に戻る。これ、意味なくない?(↑上げて) 夜型は仕事ははかどるけど、ずっと続くと精神的にも疲れるのでお薦めできない(↓これは下げるよ)。

 そういうわけで、この頃の僕のテーマは、朝型の生活リズムでクリエイティブな作業効率を上げること。そして早く引きこもり状態から抜けだして、無事に生還することです。ほんと最近、飲み会とかお花見とか、遊園地とか文化祭とか、そういうドーパミン分泌系の夢ばっかり見るので、だいぶ病んできてると思う。でもまじ超頑張るっすよ!(?)

 aikoのアルバムを借りて、ドラえもんの雑誌を買った。

 駅前でよくアンケート調査とかキャッチセールスとか署名運動をやってますが、どういうわけか僕はいつも、あの手の人たちにターゲットにされるのです。

人がいっぱい流れているのに、しかもその中をいかにも存在感無くCIAのスパイの如く人混みに紛れて歩いているのに、彼らはまっすぐこちらに向かってきて怖いです。10m以上離れていても、向かってきます。ひらりマントが欲しい。どうしてピンポイント攻撃なんですか!!

よほどキャッチして欲しそうな、寂しそうなオーラが漂っているのでしょうか。それとも、他の人に比べて人が良さそうに見えるのでしょうか。顔色が悪くて目立っているのでしょうか。僕にとっては、スポーツジムに置いてあるテレビでずっとグルメ番組を見せられるのと同じくらい、理不尽であります。東京でも名古屋でも大阪でも毎回そうなので、もうこれからは無条件に無視するか、職業を聞かれたら「お花屋さん」と答えることにしよう。

 またiPodのリモコンが断線した。怒り心頭。イラクの3邦人誘拐については触れずに、今日はこれでおしまい。

 ここ数ヶ月、作曲のためにピアノを弾いてばっかりで、ピアノを“ピアノらしく”きちんと弾くということから離れていたので、これじゃあイカンと久しぶりにバッハあたりを練習してみたところ、あまりの指の鈍り具合に撃沈した。左手の小指がおかしい。まるで小指にだけ別の生命が宿っているかのように言うことを聞いてくれない。たぶん、中に誰かいるんじゃないか。

 うちには猫が3匹いるんですけど、そのうち白い♀猫のムギさん(Webサイトのstudioコーナーにどさくさに紛れて膨らんだ顔をして手を出してるあれです)は、どういうわけかイチゴが大好きなのであります。他にも、スイカ、ぶどう、梨、ブルーベリー、オレンジなどなど・・・。そんな彼女に、残ったイチゴを食べさせるのが最近の楽しみです。

今日は雨です。なんだろう、毎年3月の中旬〜下旬の今頃は雨の日が多いような気がします。「Eternal Mirage」楽曲解説で書きましたが、ぼくはこの春先に降る雨に独特な想いにさせられます。空気の香りが自分の中にあるある種のトラウマを刺激しているかの様です。が、うまく言葉にできません。けだるい、少し悲しい、寂しい感じです。一言で言うと憂鬱?みたいな? 謎です。そんなわけで「Pluie de mars」(3月の雨)を聴くと作曲した去年の今頃を思い出します。タイムリーな曲なので、皆さんも聴いて憂鬱になってみてください。
 そういえば、どうしょうもない駄作映画だった「TimeMachine」の中で「人は誰でもタイムマシンを持っている。過去への旅は記憶。未来への旅は夢なのだ。」という言葉がありました。音楽と香りは無意識に記憶を呼び起こさせる、過去へのタイムマシンなんだなぁ。

 この頃の数日間、立てこもり中である。間違えた、引きこもり中である。ヒキコモリというか、家でやらなきゃいけないことが溜まってしまって、外に出かける時間が作れない。もともとどちらかというとインドア派な私ですが、飲ミニモイカズ、花見モイカズ、映画モ焼キ肉ニモイカズに、イツモシヅカニワラッテイたら、ただの危ない人になってしまうじゃないか。そういうものに私はなりたいわけはないので、早く解放されるように頑張りたいと思います。

 ライブに備えて「Eternal Mirage」の中の曲を手直ししていたら、制作当時(1年前)の自分のレベルの低さに驚きました。「ああ、こんなことやってたのか」と。何回も修正を繰り返せば、さらに良い物に仕上げることは簡単ですが、クリエイティブな作業ではそんなことをしていたらいつまでたっても作品として完結しないので、この想いは近藤嶺次回作へ向けていきます。そうそうだから、しめきりだいじだよ〜♪(もうこの替え歌が頭から離れない)

 映画の続編に傑作は無い、というのはすでに言い古されている定説です。「マトリックス」や「ロード・オブ・ザ・リング」は当初から三部作として作られているのでまたちょっと違いますが、その他で続編として作られた映画で前作ほど面白いと感じられた映画は今のところありません。(ちなみに「リメイク」された映画がオリジナルより良かった、という記憶も無い。)

 先日「CUBE」という映画の続編「CUBE2」を観たのですがやっぱり同じでした。「CUBE」はその発想と世界観が僕は好きなんですが、それ自体がもう反則と言ってもいいくらい閉鎖的なコンセプトの上に成り立っているので、続編でどうやって繋げてくれるのか気になっていました。しかし、全体的に無理してる感じで残念。っていうか前作とストーリーの流れが一緒じゃないかー。「CUBE」でギリギリ謎のまま視聴者に解釈を委ねていた持ち味を、“2”のラストで壊していなければ、安っぽくならずに済んだのになぁ。とぶつぶつ愚痴をこぼし中・・・。(でもきっと今回も謎のままだったら「続編作っても結局解明されないのかよ」と怒っていたような気もする。受け手というのはかくのごとく、無責任なものである)

 でも平行現実とか、四次元立方体などの数学的なモチーフは大好きです。「コンタクト」という映画を観た時にも感じたけど(これは好きな映画トップ10に入るかも)、この世界とは別の次元に、僕たちの法則や常識が通用しない未知の世界がいくつか存在しているんじゃないか、なんて思ってしまいます。あの世とか天国とか、そういうのもそうなんじゃないかなぁ。それを声高に主張すると変な人とかオカルト愛好家になってしまうけど、少しだけそう信じてみるのも、なかなか楽しいです。

 BBSに、こぢんまりと利用規約を付けました。以前はBBSに入る前に表示させていたんですが、なんだか堅苦しくなってしまうので外していました。気楽に書き込みして欲しいしー。神経質だと思われたら嫌だしー。だがしかし、何も規約のようなものが無いままで、何かあった時にこちらの不手際で皆さんにご迷惑をかけてしまうといけないので、地味に付けときました。それだけです。

 で、BBSをチェックしていて気付いたのですが、投稿の文字色を選ぶところ、なんで「青」が2つあるんでしょうか。あ、これ色設定したの、僕だったかな・・・?でもよく見ると微妙に違う色っぽいので、このままで良いかなぁ。適当ですみません。

 喉が痛くなって、何となく頭もボーっとしていたので、風邪だと思っていたら、毎年恒例の花粉症だった。でも今年はいつもに比べて発症が遅いし、症状も軽い気がする。今年は花粉が少ないっていうのもあるだろうけど、サプリを飲んでるおかげで、少し免疫が強くなったのかも。  不思議なことに花粉が原因の花粉症に悩む人は、郊外より都市部の方が多いそうです。たぶん、花粉だけが原因なのではなくて、空気そのものの汚れのせいだろうなぁ。これも環境問題ですね。昔は花粉症なんてほとんど無かったみたいだしね。

 何の脈絡もなく話は変わりますが、最近まくら元に携帯を置いて寝てます。何か連絡が入ってもすぐ出られるようにそうしていたのですが、悲しいメールがきて起こされたり、怖い電話が入ったり、そういう携帯がらみの“夢”ばかり見るので、少し離して置くことにしました。電磁波のせいに違いない。

 近頃、海外ドラマの「フレンズ」がお気に入りです。有名なのでご存じの方も多いかと思いますが。NYを舞台にしたシットコム(シチュエーション・コメディ)で、“観客の笑い声がいちいち入ってる”海外ドラマと言えばイメージしやすいかもです。最近は寝る前に1話くらいボーっと見るのが楽しみです。僕はこの手のシットコムが好きです。

日本では三谷幸喜さんの脚本がシットコムで有名ですね。「フレンズ」もそうだけど、こういうドラマは脚本が実に巧みです。伏線が細かく張り巡らされていて芸が細かい。物語を考えるってことは何でもそうだと思うけど、脚本を考えるのは特に数学的に頭を使わないと、なかなか難しいと思う。

ちょっと音楽にも似ていますね。構成やモチーフの中に、ある種の伏線を含ませていくのです。演劇、ドラマ、音楽、どれも時間軸の上に組み立てていくという点で、同じもの。あまりに思いつきのまま並べただけではすぐに飽きてしまうし、逆に計算されすぎていても面白みが無くなってしまうのが面白いところです。

 今日はうるう日です。うるうるする日です。みんなでうるうるしましょう。21世紀最初のうるう日だっていうので、コンピュータなどでまた問題が起きるんじゃないかと地味に注目されているようです。なんで出だしからこんな話題なんでしょうか。  最近、メールなどでお会いしたことのない方からメッセージを頂くことが増えてきました。実際にはとても離れたところからのメッセージだったりするのですが、メールや携帯電話での会話だけでは全く距離感を感じないので、不思議なものです。面白いです。時代が変えたコミュニケーションだ。

 かれこれ割と長い間僕は、これからCDや本などが姿を消してそれらが単なる“データ”としてやりとりされる時代が来ることに、否定的な考えを持ち続けていたわけですが、精神論はともかく、体感的に一番何に違和感を感じるかを考えたのです。

 結局“そのもの”を手に取って自分の物にするという“所有感”が無くなってしまう不安というか、危うさ、つかみどころの無さが怖いんだと気付いた。例えば、僕はネット上の読み物とか参考テキストなんかを、ちゃんと腰を据えて読みたいときは、プリントアウトしてゆっくり読むタイプです。これは目が疲れる等の理由もあるけど、手にとった感触で全体の分量がわかるとか、流れがつかめるとか、アンダーラインがひけるとか、そういう実体がある安心感が欲しいからなんだよなぁ。気に入った本をいつも持ち歩いて、ボロボロにできる喜び、みたいな。手触り、匂いを感じられるということ。音楽だったら、レコードやCDをジャケット含めていつも側に置いておきたくなるようなワクワク感。コンサート会場へ行って、開演前のザワザワした空気を味わう楽しみ。これがあるのと無いのでは、えらい違いです。乱暴に言えば、文化と単なる情報の違いです。

 とは言っても便利さには勝てないので、ますますデジタル化されていくとは思うし、それが全て間違いでは無いと思うけど、こういう所有感に対する欲求は物事がデジタル化されればされるほど強くなっていくのではないかな。

例えば、携帯電話。人とのコミュニケーションだけでなく、音楽や映像、ゲーム、その他諸々あらゆるものを手のひらサイズの中に収めておきたい、というのはその欲求の一つの表れなんだろうと思うのです。僕たちはきっと、つかみどころの無いものを手のひらの中に収めて安心したいんだ。僕が危惧するのは、その「手のひらサイズ」の文化だけで育つ、次の子供達の世代のことです。うるうるしてきます。

 そろそろ少しずつ暖かくなり始めたような気がします。もう梅の時期です。僕は寒いのが嫌いですが、暑いのはもっと嫌いです。あまり汗をかかない方で、暑がっているのが顔に出ないらしいので暑さに強そうに見られがちですが、冬より夏の方が苦手です。春はほどよく暖かく過ごしやすいのでまあまあです。でも、春に対しても訴えたい嫌な点があります。さて、その理由は次のうちどれでしょうか。

1,わたしは花粉症だから。
2,春は別れの季節だから。
3,暖かいと眠気に勝てないから。
4,新学期のクラス替えが憂鬱だから。
5,春という漢字に嫌な思い出があるから。

正解した方にはおめでとうの気持ちをプレゼントします。発表はいつかそのうち。

 最近更新ペースが落ち気味です。体も心もなかなかゆとりが持てません。ボーっとしたい。ボーっとできるところに遊びに行きたいです。プレステもやりたい。

 皆さんも経験があるかと思いますが、夜中に文章などを書いていると、朝起きてから読み返したときに「なんでこんなこと書いたんだろう」とふと我に返って恥ずかしくなるときがあります。または、「どっからこんな言葉が出てきたんだろう」など。夜は朝昼に比べて気持ちが高ぶりやすく、感情が大げさにオモテに出やすいので、どうしても朝の冷静な状態で見直すと違和感を感じることがあるのですね。例えば、夜中にラブレターとか書くのは諸刃の剣なのです。僕はよく知らないが。ちなみにこのMonologueも、くだらない内容の時は大抵変な時間に書いています。そこのあなた、いつもくだらないじゃんって言いたそうですね。

 で、そんなことはどうでもいいんですが、音楽も作文と共通するところが多いので同じ様な現象がしばしばみられます。僕の場合、楽曲制作は完全に夜型で夜中から朝にかけての時間が一番集中でき調子も良いのですが、やはり同じように夜中のラブレター現象はあるようで、ずっと集中している状態でテンションを上げて作ったメロディーやアレンジなどは、一度寝て起きてから聞き返すとかなり変な曲に聞こえます。もの凄く変です。逆に、この時に問題なし!と思えたなら、客観的に見てもまあまあの仕上がりになっている場合が多いです。一番危険なのは、徹夜の連続で仕上げたものをそのまま提出してしまうことです。一晩おいて聴いたら「ギャー」と叫ぶこと間違いないので、それだけは避けるべきです。でも、いつもそんな感じです。恐ろしい。

 近頃の制作作業中に欠かせないものとして、紅茶の次に挙げられるのが柿ピーです。庶民的です。ちなみにそれ以下は、十六茶、じゃがりこ、にんじん、と続くわけですが、そんなことはどうでもいいです。

今、「あ〜このアレンジどうしよう〜」と途方に暮れながら食べていたら、調子に乗って柿ピーの「柿」の方をついうっかりタテに思いっきり噛んでしまい、歯ぐきの裏に突き刺さって出血しました。痛いです。歯ぐきってちょっと何かあるだけで、何でこんなに痛みが全身に響くのでしょうか。あー。「死因・柿ピー」とか嫌すぎるー。憂鬱なので、今日はこれでおわり。

 今週はそこら中で、某牛丼屋の牛丼終了ニュースが騒がれているけど、それほどの一大事なんですか〜。牛肉問題が解決したら、またすぐ復活するんでしょ。ワイドショーで4日も連続して取り上げるほどのネタでも無いような気がするけどなぁ。

 studio Eternalのオフィシャルドリンクが午後の紅茶ストレートだということは周知の事実ですが(?)、少し前までずっと仕事中、制作作業中にいつも飲んでいたので、今ではのんびりしたい時でもこれを飲むと意味もなく気分が忙しくなります。梅干しのイメージで唾液が多く分泌される感じです。パブロフの犬と呼んでくれ。しかしそれを応用して、仕事モードに頭が切り替わらない時に飲んでみると適度に緊張感が生まれ、いい感じです。午後の紅茶を飲んで緊張を楽しむ男。ハタから見てるととても怪しいです。

 しかし、このパブロフの犬化作戦は意外と効果的なのであります。例えば、勉強を始めれば集中出来るのになかなか机に向かう気になれない受験生諸君は、机に向かった時に美味しそうな匂いがするようにでもしておけばいいのです。あるいは、ラベンダーの香りでもいいかもしれません。ラベンダー=勉強モードという条件反射を刷り込めば、香りを嗅ぐだけで集中力アップ間違いなし!(間違いっぽい) さらに、試験会場でこっそりラベンダーの香水をそこら中に振りまけば、他の受験者がその香りの効能でリラックスしている中であなただけが余裕で試験をこなすことが出来るわけです。素晴らしいです。受験生の皆さん、今年はラベンダーで頑張ってください。(センター試験はもう終わったけど)

 久しぶりの更新だと、何か凄いことを書かなきゃいけないようなプレッシャーを感じてしまいますが、今日も意味のない文章を書き連ねていきたいと思います。そろそろ更新しないとどこかから槍でも飛んできたら困るし。

 この前、自分の昔の曲を聴きました。中学時代や2〜3年前に作ったものなどなど…。すでに「Eternal Mirage」もその領域に入りつつありますが、過去の作品っていうのは聞いていて猛烈に恥ずかしくなることがあります。当然、制作した当時から自分自身も成長しているので、「ああ、もっとこうすればよかった」とか「これはオカシイ」とか反省点が見えてくるのです。物を作る上で、仕上がりに満足することが出来ないのは健康的なことです。次によりよい物を生み出す力になる。

僕の場合、曲が完成して1ヶ月もたつと「まだまだだな」と感じてしまうものですが、特に作曲を始めたばかりの初々しい時代の曲は、今聴くと叫びたくなるほどに恥ずかしいのです。というか叫んでる。しかも当時、何人か親しい人達に曲をカセットテープ(懐かしいね)であげていたりするので、困りものです。大切にしまっておいてください。そっとしておいてください。

 一人っ子のせいか、基本的に一人で過ごすのが苦にならない私は、暇な時は誰かを誘って遊びに行くより、一人でのんびり映画を観たり読書をしたり、ボーっと景色を眺めたり、ドライブや人間観察をしている方がわりと好きだったりします。良く言えばインドア人間。悪く言えば引きこもり予備軍。

 そんな私も親しい友人とたまに飲みに行って馬鹿話をするのが生きていく上で重要な楽しみでもあるのですが、最近はあまり時間がなくてそういう機会が激減していて寂しいです。このままでは疎遠になってしまうので、暖かくなってきたら、友達100人出来るかなキャンペーンを実施しようと思います。どんなキャンペーンなのかはまだ考えていないです。いや、100人もいらないけど。

 ところで、Columnで書きたいことを整理しているところですが、更新までもうしばらくお待ちください。このままでは、おまけのはずのMonologueがメインコンテンツだと思われそう。

 小学1年生の時、まだ早寝早起きの小学校生活に慣れなくて「幼稚園の頃は良かったなぁ」とつぶやいたことがある。(今思えば、老けた子供である)

 その時、当時の担任の先生に、「小学校に入ると幼稚園に戻りたくなる。中学校に入れば小学校に戻りたくなる。でも大学へ入って社会人になったら、戻りたいとは思わなくなるよ。」みたいなことを言われて今でもそれが記憶に残っています。確かにその通りでした。

でも、たまに懐かしい中学時代に戻ってみたくなるときがあります。たまごっちが流行っていました。

 気温が低いとピアノの音色がとてもよく響いて心地よいです。今の時期や朝早い時間にピアノを弾くと、ひんやりとした空気の音がピアノの音色の奥に聞こえてくるのです。これは、キーボードやシンセの様なデジタルな、つまりスピーカーを通って鳴る楽器では味わえないものです。ただ楽器の音が鳴っているだけではなくて、演奏者やその周りの空間がそのまま音となって聞こえてくるものが、音楽の本質ではないかと思うんですよ。「Eternal Mirage」がシンセ等がメインだったので、近藤嶺はシンセや打ち込みが主体だと思われる方もいらっしゃいますが、表現の手段としてデジタル・アナログ問わず、なんでも取り入れたいと思っているだけで、基本的にアナログな考えの強い人間です。

 本日のお買い物・・・「EASTWEST Bosendorfer 290」Plug-in。ピアノの音源としては今までで一番良い感じ。生ピアノに到底及ばないけど、ベーゼンっぽい音がクラシックに合いそうで満足。贅沢を言うならもう少し近くで鳴ってる音が入っていたら良かった。

 あと適当に服を買った。眠いのでおしまい。

 近頃の国会が面白いです。与党も野党もその場の言葉の帳尻合わせに必死で、お互いに意見を戦わせてより建設的な方向へ向かわせようという雰囲気が全く感じられないところが、見ている分には面白いです。答弁に詰まって追いつめられているナントカ大臣さん達の姿を見ていると、「ああ、もう家に帰って布団をかぶって寝てしまいたいのだろうなぁ」と、自分の締切前の姿に重ね合わせて共感してしまうのです。

 「暴君ハバネロ」を食べたら、頭皮がピリピリしました。僕は辛いモノは結構得意なはずなのにちょっと油断したようです。日本人って唐辛子系の辛みにはあまり強くない人種なのかなと思う。日本料理ってあまり辛みのある料理は無いですよね。で、面白いことに、辛さにも単位がちゃんとあるらしくて、「スコヴィル」というらしいです。唐辛子の辛みの抽出物に水を一定の割合で辛さを感じなくなるまで加えていき、その希釈倍率を基準にするとのこと。水で1000倍に薄めて辛みが無くなったら1000スコヴィルになるとか、そういう感じですか。問題の「暴君ハバネロ」は300,000スコヴィル。いきなりそんなこと言われても辛いんだか辛くないんだかよくわからないところに、この単位の哀愁が感じられます。

 気がついたらもう1月も終わりに近づいてきました。毎年、1月はどこか正月気分が抜けきれないまま終わってしまうような気がします。ああ、すでに1年の12分の1が終わろうとしている。時の流れは速いなぁ。

 人間って、時間に対する感覚は一定じゃないから不思議です。理性を持たない動物達には、きっとわからないかも知れない。楽しい時は短く、苦しいときは長く、そして眠っている時は数時間が一瞬で過ぎてしまうのです。時間を飛び越えている。

哲学者カントは、人間は生まれたときから「時間」と「空間」というフィルターを通してしか、物事を見ることはできないと言っていました。それは人間の感性がそうさせるからで、時間と空間以前に本来あるはずの、“その瞬間に「そのもの」が存在するだけという認識”つまり感性を全く通さない認識は、生きている限り不可能だということです。

時間も空間も、最初からその流れがあるわけではなくて、生まれたときから僕たちの心がそう感じさせているだけなのです。そう考えると、僕たちの周りの時間と空間は「今」が連続的に、そして永久に続いているだけだという、漠然とした不思議な感覚を覚えます。もしも、この逃れられない感性の束縛から解放されたとしたら、何が見えるのかなぁ。天国へ行ったら見えるかもしれません。

 音楽も時間の流れを変えることができます。同じ長さの曲でも、早く終わったり長く感じられたり。旋律やリズムによって、時間の流れが変わっていく瞬間が僕は好きです。僕はジムなどに行って退屈でつらい運動をしている時に、ずっと好きな音楽を聴いています。そうすると、いつのまにか時間が過ぎている。タイムマシンは少しだけ存在していました。

 なんか今日は雨だったり曇りだったりしたみたいなんですが、てっきり僕は天気が良いと思い込んでいて、天気がいいですーいいですーと言い続けていました。確かに僕が外に出たときは天気が良かったような気がしたんです。それなのに、雨と晴れの区別もつかないアレな人だと思われてしまったじゃないか。

 駅や路上でギターをかき鳴らしながら歌ってる人達、よくいますよね。あの人達は、なんでギターをコード弾きしかしないんでしょうか。まぁ、確かに弾き語りなので、伴奏としてコードを弾くのはわかるんだけど、ピアノの弾き語りだって要所要所で対旋律とかキメのフレーズを入れたりするじゃないですか。あのギター少年(青年?)達も、歌ばっかりじゃなくて、せっかくギターという楽器があるんだから、もっと音楽的な演奏をしてみたら良いのにもったいないなと、すれ違いざまに思いました。それが無理なら、いっそのことア・カペラで独唱するっていうのもかっこいいじゃん。それなら、足を止めて聴いてしまうだろうなぁ。上手ければ。

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