近藤 嶺 official blog

2004年01月

 小学1年生の時、まだ早寝早起きの小学校生活に慣れなくて「幼稚園の頃は良かったなぁ」とつぶやいたことがある。(今思えば、老けた子供である)

 その時、当時の担任の先生に、「小学校に入ると幼稚園に戻りたくなる。中学校に入れば小学校に戻りたくなる。でも大学へ入って社会人になったら、戻りたいとは思わなくなるよ。」みたいなことを言われて今でもそれが記憶に残っています。確かにその通りでした。

でも、たまに懐かしい中学時代に戻ってみたくなるときがあります。たまごっちが流行っていました。

 気温が低いとピアノの音色がとてもよく響いて心地よいです。今の時期や朝早い時間にピアノを弾くと、ひんやりとした空気の音がピアノの音色の奥に聞こえてくるのです。これは、キーボードやシンセの様なデジタルな、つまりスピーカーを通って鳴る楽器では味わえないものです。ただ楽器の音が鳴っているだけではなくて、演奏者やその周りの空間がそのまま音となって聞こえてくるものが、音楽の本質ではないかと思うんですよ。「Eternal Mirage」がシンセ等がメインだったので、近藤嶺はシンセや打ち込みが主体だと思われる方もいらっしゃいますが、表現の手段としてデジタル・アナログ問わず、なんでも取り入れたいと思っているだけで、基本的にアナログな考えの強い人間です。

 本日のお買い物・・・「EASTWEST Bosendorfer 290」Plug-in。ピアノの音源としては今までで一番良い感じ。生ピアノに到底及ばないけど、ベーゼンっぽい音がクラシックに合いそうで満足。贅沢を言うならもう少し近くで鳴ってる音が入っていたら良かった。

 あと適当に服を買った。眠いのでおしまい。

 近頃の国会が面白いです。与党も野党もその場の言葉の帳尻合わせに必死で、お互いに意見を戦わせてより建設的な方向へ向かわせようという雰囲気が全く感じられないところが、見ている分には面白いです。答弁に詰まって追いつめられているナントカ大臣さん達の姿を見ていると、「ああ、もう家に帰って布団をかぶって寝てしまいたいのだろうなぁ」と、自分の締切前の姿に重ね合わせて共感してしまうのです。

 「暴君ハバネロ」を食べたら、頭皮がピリピリしました。僕は辛いモノは結構得意なはずなのにちょっと油断したようです。日本人って唐辛子系の辛みにはあまり強くない人種なのかなと思う。日本料理ってあまり辛みのある料理は無いですよね。で、面白いことに、辛さにも単位がちゃんとあるらしくて、「スコヴィル」というらしいです。唐辛子の辛みの抽出物に水を一定の割合で辛さを感じなくなるまで加えていき、その希釈倍率を基準にするとのこと。水で1000倍に薄めて辛みが無くなったら1000スコヴィルになるとか、そういう感じですか。問題の「暴君ハバネロ」は300,000スコヴィル。いきなりそんなこと言われても辛いんだか辛くないんだかよくわからないところに、この単位の哀愁が感じられます。

 気がついたらもう1月も終わりに近づいてきました。毎年、1月はどこか正月気分が抜けきれないまま終わってしまうような気がします。ああ、すでに1年の12分の1が終わろうとしている。時の流れは速いなぁ。

 人間って、時間に対する感覚は一定じゃないから不思議です。理性を持たない動物達には、きっとわからないかも知れない。楽しい時は短く、苦しいときは長く、そして眠っている時は数時間が一瞬で過ぎてしまうのです。時間を飛び越えている。

哲学者カントは、人間は生まれたときから「時間」と「空間」というフィルターを通してしか、物事を見ることはできないと言っていました。それは人間の感性がそうさせるからで、時間と空間以前に本来あるはずの、“その瞬間に「そのもの」が存在するだけという認識”つまり感性を全く通さない認識は、生きている限り不可能だということです。

時間も空間も、最初からその流れがあるわけではなくて、生まれたときから僕たちの心がそう感じさせているだけなのです。そう考えると、僕たちの周りの時間と空間は「今」が連続的に、そして永久に続いているだけだという、漠然とした不思議な感覚を覚えます。もしも、この逃れられない感性の束縛から解放されたとしたら、何が見えるのかなぁ。天国へ行ったら見えるかもしれません。

 音楽も時間の流れを変えることができます。同じ長さの曲でも、早く終わったり長く感じられたり。旋律やリズムによって、時間の流れが変わっていく瞬間が僕は好きです。僕はジムなどに行って退屈でつらい運動をしている時に、ずっと好きな音楽を聴いています。そうすると、いつのまにか時間が過ぎている。タイムマシンは少しだけ存在していました。

 なんか今日は雨だったり曇りだったりしたみたいなんですが、てっきり僕は天気が良いと思い込んでいて、天気がいいですーいいですーと言い続けていました。確かに僕が外に出たときは天気が良かったような気がしたんです。それなのに、雨と晴れの区別もつかないアレな人だと思われてしまったじゃないか。

 駅や路上でギターをかき鳴らしながら歌ってる人達、よくいますよね。あの人達は、なんでギターをコード弾きしかしないんでしょうか。まぁ、確かに弾き語りなので、伴奏としてコードを弾くのはわかるんだけど、ピアノの弾き語りだって要所要所で対旋律とかキメのフレーズを入れたりするじゃないですか。あのギター少年(青年?)達も、歌ばっかりじゃなくて、せっかくギターという楽器があるんだから、もっと音楽的な演奏をしてみたら良いのにもったいないなと、すれ違いざまに思いました。それが無理なら、いっそのことア・カペラで独唱するっていうのもかっこいいじゃん。それなら、足を止めて聴いてしまうだろうなぁ。上手ければ。

 はーい、近藤嶺の悩みなんでも相談室でーす。嘘でーす。雪が降りましたね。記憶が確かなら、僕の住んでる地域ではこの冬2回目の雪です。車に雪がたくさん積もって夕方まで溶けずに残っていました。そのまま夕方に車で出かけたら、他の車は普通にスッキリした顔して走っているのに、僕の車だけ雪がつもりっぱなしで、明らかに町中で浮いていました。雪って、イチゴシロップとかかけて食べたくなりますよね。今は雪が汚染されてしまって、食べられないけれど。あと、雪が積もってると、無意味に人の踏み込んでいない領域に足跡を残したくなりますよね。ならないですか、そうですか。

 まぁ、そんなことはどうでもよろしい。あいかわらずワンタンスープがおいしいです。僕はあまり食い意地がはってないし、食べ物に対する執着はそれほど無いのですが、突発的にあるものを好きになってこだわりだすことがしばしばあります。最近では、ワンタンスープ、たい焼き、板チョコアイス、ケンタッキーの辛いの、キムチ鍋、午後の紅茶、コムサで貰ったキャンディーと、生にんじんスティックです。とりあえず、生にんじんスティックとマヨネーズとワンタンスープがあれば文句は言わないので、メモっておくと良いんじゃないでしょうか。あとポン酢ね。全体的に食べ物っていうより、食材に近いのは何故。

 ちょっと更新頻度が落ち気味でした。ごめんなさい。って言っても、誰もこのコーナーをそれほど期待して覗いていないと思うけれど。いや、それはちょっと寂しいのでやっぱり期待して毎日覗いてね。最近風が強くて髪がバリバリになりますね。

 この前ある場所で、“某有名大学について皆さんどう思いますか?”みたいな問いがあって、ほとんどの方が「すごい」とか「尊敬する」とか「頭がいい」とか答えていました。僕はどうも、こういう発想が全然理解できないみたいで、何がすごいのだろう?と疑問に感じてしまいます。ひねくれた考えで言っているのではないんですが。確かに、一流(と言われる)学校に入るには、難関な入試をクリアするために猛勉強しないといけないから、それはすごいことだと思うけれど、受験勉強なんて、ある意味ひたすら暗記して覚えて、コツをつかんで繰り返せば、誰でもクリア出来るものじゃない? 勉強なんて、時間をかければ誰だってできると思うのです。だから、それで一流(と言われる)学校に入ったからって、すごいことではあるけれど、別にそれ自体が「頭がいい」と尊敬するほどのことではないだろう、と思ってしまうんですね。(別に、受験で努力する人を否定してるわけではないです、念のため。)日本の大学が、「入るのは難しいけど出るのは簡単」なシステムだから、余計にそう思えるかもしれない。でも、僕のこの考えはどうも珍しいらしい。

 「いい大学」に入るために勉強して、その後は安心して適当なことしてる人間より、パッとしないような(こういう言い方すると誤解されそうだなぁ)大学行ってても、自分が本当に勉強したいことを真剣に追求し続けてる人間の方が、よほどかっこいいし、僕は尊敬します。自分の目標のために、行きたい学校のために努力して、入ってからも卒業してからもそれを忘れない人を、尊敬します。だから、僕は知り合った人が中卒であろうと一流大学卒であろうと、それ自体にはなんの興味もありません。その代わり、その人が今まで何を学んできて、いま人として「何ができるのか」というアビリティーに関心があります。だって、それが一番大切なことでしょう。本当の「学歴」っていうのは“学校歴”ではなくて“学問歴”、ということです。でも、僕のこの考えはどうも珍しいらしい。

 ちょっと偉そうな発言に捉えられそうだけど、そういう意味で自分自身ももっと勉強していきたいことがたくさんあります、ということです。(うまく謙虚にまとめたつもり。)どうしてこんなことを書いたかと言うとね、何度も言うように、この考え方が圧倒的にマイノリティーだから。不思議だなぁ。

 携帯のカタログを見ていたら電話帳保存件数1000件って書いてあって、一体どこの誰が1000件も電話番号登録するのかと問いつめたくなりました。でもそこを機能強化してるっていうことは、需要があるのかなぁ。関係ないけど、かかってきたワン切り業者の電話に出てしまったことが2回くらいあります。ちゃんと業者に10円課金されたのでしょうか。ちょっといい気分だ。この前、ワン切りじゃなくて2回半くらい鳴らして切れる中途半端な業者がいたんだけど、それはちょっとやる気無さ過ぎじゃないか。もっと男気を見せろ!

 「マトリックス」の発想の元ネタだという「攻殻機動隊」を見た。「アヴァロン」と同じく、押井守監督の映画は終盤が難解だが、全体的に暗い雰囲気と閉塞感が良い。確かに銃撃戦の描写はマトリックスそのままだった。民族調の音楽が印象的。

 もう一つ、映画は観ていないけれど「パイレーツ・オブ・カリビアン」のサントラが良いと聞いて、購入。音楽はクラウス・バデルト。ハンス・ジマー率いるメディア・ベンチャーズの一員だということで、ジマーっぽい派手なアクションスコアなんだろう、と思っていたら本当にそうだった。というよりほとんどジマースコアと区別がつかず、「グラディエーター」と「ピースメーカー」と「バックドラフト」の良いところをくっつけた様な音楽だったので、ある意味、ジマー集大成か。コピーコントロールCDだったので、お金を出して買った立場としてはちょっと嫌な気分だったが、うちのPowerBookだとなぜか普通に読み込めてしまうので、僕には関係ないし、まぁいいんじゃないの。

 よく「作曲って難しそうですね」みたいなことを言われるけれど、実際に作曲で一番大変なのは、メロディやハーモニーを発想することではなくて、浮かんだものを選択していく作業なんじゃないかなと、曲作りの度に感じます。実際のところ、良いメロディや綺麗なハーモニーは、いくらでも浮かんでくるんです。何十通り、何百通りでも。この段階では、産みの苦しみはほとんど無い。適当にピアノを弾いていたら即興で良い曲が出来ていた、なんてこともよくあります。

でも、即興で弾いたものを、きちんと楽譜にしようとする段階になると、途端に苦しくなる。つまり、「音楽」として完成させるためには、たくさん生まれてきたものの中から一つを選んで、隅々まで確定していかなければなりません。(ジョンケージの偶然性の音楽とか、ああいうのは別として。)それがいろいろと悩む作業なのです。どちらかというと、産みの苦しみというより、選ぶ苦しみという感じ。選ぶ楽しみ、かもしれないけれど。

ものを作っている人は、きっと共感してくれるんじゃないかなぁ。

 あけましておめでとうございます。いつの間にか、もう2004年です。時間が過ぎるのは速いですね。今年は昨年以上に活動の幅を広げ、充実した1年にします。本年も、近藤嶺とstudio Eternalをどうぞよろしくお願いいたします。そして、皆さんにも幸せな1年でありますように。

 studio Eternalの“studio”がなんで小文字なんだと疑問に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、これはミスタイプではなくて、当初は「studio Eternal」という一括りのネーミングというより、「Eternal」に対して「studio」がくっついている意識で、またデザイン的にも絵になる名前を、ということでEternalは大文字でもstudioは小文字にしたのです。スタジオジブリと同じです。しかし、結局「studio Eternal」とフルネームで呼ぶのが、今のところのグローバルスタンダードになっています。グローバルと言っても、もの凄く小規模なグローバルです。

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