近藤 嶺 official blog

2004年02月

 今日はうるう日です。うるうるする日です。みんなでうるうるしましょう。21世紀最初のうるう日だっていうので、コンピュータなどでまた問題が起きるんじゃないかと地味に注目されているようです。なんで出だしからこんな話題なんでしょうか。  最近、メールなどでお会いしたことのない方からメッセージを頂くことが増えてきました。実際にはとても離れたところからのメッセージだったりするのですが、メールや携帯電話での会話だけでは全く距離感を感じないので、不思議なものです。面白いです。時代が変えたコミュニケーションだ。

 かれこれ割と長い間僕は、これからCDや本などが姿を消してそれらが単なる“データ”としてやりとりされる時代が来ることに、否定的な考えを持ち続けていたわけですが、精神論はともかく、体感的に一番何に違和感を感じるかを考えたのです。

 結局“そのもの”を手に取って自分の物にするという“所有感”が無くなってしまう不安というか、危うさ、つかみどころの無さが怖いんだと気付いた。例えば、僕はネット上の読み物とか参考テキストなんかを、ちゃんと腰を据えて読みたいときは、プリントアウトしてゆっくり読むタイプです。これは目が疲れる等の理由もあるけど、手にとった感触で全体の分量がわかるとか、流れがつかめるとか、アンダーラインがひけるとか、そういう実体がある安心感が欲しいからなんだよなぁ。気に入った本をいつも持ち歩いて、ボロボロにできる喜び、みたいな。手触り、匂いを感じられるということ。音楽だったら、レコードやCDをジャケット含めていつも側に置いておきたくなるようなワクワク感。コンサート会場へ行って、開演前のザワザワした空気を味わう楽しみ。これがあるのと無いのでは、えらい違いです。乱暴に言えば、文化と単なる情報の違いです。

 とは言っても便利さには勝てないので、ますますデジタル化されていくとは思うし、それが全て間違いでは無いと思うけど、こういう所有感に対する欲求は物事がデジタル化されればされるほど強くなっていくのではないかな。

例えば、携帯電話。人とのコミュニケーションだけでなく、音楽や映像、ゲーム、その他諸々あらゆるものを手のひらサイズの中に収めておきたい、というのはその欲求の一つの表れなんだろうと思うのです。僕たちはきっと、つかみどころの無いものを手のひらの中に収めて安心したいんだ。僕が危惧するのは、その「手のひらサイズ」の文化だけで育つ、次の子供達の世代のことです。うるうるしてきます。

 そろそろ少しずつ暖かくなり始めたような気がします。もう梅の時期です。僕は寒いのが嫌いですが、暑いのはもっと嫌いです。あまり汗をかかない方で、暑がっているのが顔に出ないらしいので暑さに強そうに見られがちですが、冬より夏の方が苦手です。春はほどよく暖かく過ごしやすいのでまあまあです。でも、春に対しても訴えたい嫌な点があります。さて、その理由は次のうちどれでしょうか。

1,わたしは花粉症だから。
2,春は別れの季節だから。
3,暖かいと眠気に勝てないから。
4,新学期のクラス替えが憂鬱だから。
5,春という漢字に嫌な思い出があるから。

正解した方にはおめでとうの気持ちをプレゼントします。発表はいつかそのうち。

 最近更新ペースが落ち気味です。体も心もなかなかゆとりが持てません。ボーっとしたい。ボーっとできるところに遊びに行きたいです。プレステもやりたい。

 皆さんも経験があるかと思いますが、夜中に文章などを書いていると、朝起きてから読み返したときに「なんでこんなこと書いたんだろう」とふと我に返って恥ずかしくなるときがあります。または、「どっからこんな言葉が出てきたんだろう」など。夜は朝昼に比べて気持ちが高ぶりやすく、感情が大げさにオモテに出やすいので、どうしても朝の冷静な状態で見直すと違和感を感じることがあるのですね。例えば、夜中にラブレターとか書くのは諸刃の剣なのです。僕はよく知らないが。ちなみにこのMonologueも、くだらない内容の時は大抵変な時間に書いています。そこのあなた、いつもくだらないじゃんって言いたそうですね。

 で、そんなことはどうでもいいんですが、音楽も作文と共通するところが多いので同じ様な現象がしばしばみられます。僕の場合、楽曲制作は完全に夜型で夜中から朝にかけての時間が一番集中でき調子も良いのですが、やはり同じように夜中のラブレター現象はあるようで、ずっと集中している状態でテンションを上げて作ったメロディーやアレンジなどは、一度寝て起きてから聞き返すとかなり変な曲に聞こえます。もの凄く変です。逆に、この時に問題なし!と思えたなら、客観的に見てもまあまあの仕上がりになっている場合が多いです。一番危険なのは、徹夜の連続で仕上げたものをそのまま提出してしまうことです。一晩おいて聴いたら「ギャー」と叫ぶこと間違いないので、それだけは避けるべきです。でも、いつもそんな感じです。恐ろしい。

 近頃の制作作業中に欠かせないものとして、紅茶の次に挙げられるのが柿ピーです。庶民的です。ちなみにそれ以下は、十六茶、じゃがりこ、にんじん、と続くわけですが、そんなことはどうでもいいです。

今、「あ〜このアレンジどうしよう〜」と途方に暮れながら食べていたら、調子に乗って柿ピーの「柿」の方をついうっかりタテに思いっきり噛んでしまい、歯ぐきの裏に突き刺さって出血しました。痛いです。歯ぐきってちょっと何かあるだけで、何でこんなに痛みが全身に響くのでしょうか。あー。「死因・柿ピー」とか嫌すぎるー。憂鬱なので、今日はこれでおわり。

 今週はそこら中で、某牛丼屋の牛丼終了ニュースが騒がれているけど、それほどの一大事なんですか〜。牛肉問題が解決したら、またすぐ復活するんでしょ。ワイドショーで4日も連続して取り上げるほどのネタでも無いような気がするけどなぁ。

 studio Eternalのオフィシャルドリンクが午後の紅茶ストレートだということは周知の事実ですが(?)、少し前までずっと仕事中、制作作業中にいつも飲んでいたので、今ではのんびりしたい時でもこれを飲むと意味もなく気分が忙しくなります。梅干しのイメージで唾液が多く分泌される感じです。パブロフの犬と呼んでくれ。しかしそれを応用して、仕事モードに頭が切り替わらない時に飲んでみると適度に緊張感が生まれ、いい感じです。午後の紅茶を飲んで緊張を楽しむ男。ハタから見てるととても怪しいです。

 しかし、このパブロフの犬化作戦は意外と効果的なのであります。例えば、勉強を始めれば集中出来るのになかなか机に向かう気になれない受験生諸君は、机に向かった時に美味しそうな匂いがするようにでもしておけばいいのです。あるいは、ラベンダーの香りでもいいかもしれません。ラベンダー=勉強モードという条件反射を刷り込めば、香りを嗅ぐだけで集中力アップ間違いなし!(間違いっぽい) さらに、試験会場でこっそりラベンダーの香水をそこら中に振りまけば、他の受験者がその香りの効能でリラックスしている中であなただけが余裕で試験をこなすことが出来るわけです。素晴らしいです。受験生の皆さん、今年はラベンダーで頑張ってください。(センター試験はもう終わったけど)

 久しぶりの更新だと、何か凄いことを書かなきゃいけないようなプレッシャーを感じてしまいますが、今日も意味のない文章を書き連ねていきたいと思います。そろそろ更新しないとどこかから槍でも飛んできたら困るし。

 この前、自分の昔の曲を聴きました。中学時代や2〜3年前に作ったものなどなど…。すでに「Eternal Mirage」もその領域に入りつつありますが、過去の作品っていうのは聞いていて猛烈に恥ずかしくなることがあります。当然、制作した当時から自分自身も成長しているので、「ああ、もっとこうすればよかった」とか「これはオカシイ」とか反省点が見えてくるのです。物を作る上で、仕上がりに満足することが出来ないのは健康的なことです。次によりよい物を生み出す力になる。

僕の場合、曲が完成して1ヶ月もたつと「まだまだだな」と感じてしまうものですが、特に作曲を始めたばかりの初々しい時代の曲は、今聴くと叫びたくなるほどに恥ずかしいのです。というか叫んでる。しかも当時、何人か親しい人達に曲をカセットテープ(懐かしいね)であげていたりするので、困りものです。大切にしまっておいてください。そっとしておいてください。

 一人っ子のせいか、基本的に一人で過ごすのが苦にならない私は、暇な時は誰かを誘って遊びに行くより、一人でのんびり映画を観たり読書をしたり、ボーっと景色を眺めたり、ドライブや人間観察をしている方がわりと好きだったりします。良く言えばインドア人間。悪く言えば引きこもり予備軍。

 そんな私も親しい友人とたまに飲みに行って馬鹿話をするのが生きていく上で重要な楽しみでもあるのですが、最近はあまり時間がなくてそういう機会が激減していて寂しいです。このままでは疎遠になってしまうので、暖かくなってきたら、友達100人出来るかなキャンペーンを実施しようと思います。どんなキャンペーンなのかはまだ考えていないです。いや、100人もいらないけど。

 ところで、Columnで書きたいことを整理しているところですが、更新までもうしばらくお待ちください。このままでは、おまけのはずのMonologueがメインコンテンツだと思われそう。

このページのトップヘ