というわけで(?)先日は皐月のライブでした。群馬では久しぶりにホールでピアノを弾いたのですが、スタンウェイのコンサートグランドだったので気持ちよかったです。バンド演奏も楽しかった。関係者の皆さんお疲れ様です。心配していた僕の目玉焼き焼き機も本番中に発火することなく、また凍結することもなくちゃんと動いていました。皐月の1stマキシ「アザレア」は今月28日発売とのことです。あ、明日じゃん。歌声の良さはもちろんのこと、近藤嶺サウンドの歌モノを聴いてみたいという方にもおすすめいたしますので聴いてみてくださいね。
合間を縫って東京現代美術館のオノ・ヨーコ展に行ってきました。一般的にオノヨーコのイメージにありがちな「平和」や「自由」主義どうこうより、彼女の初期作品のミニマルな現代音楽的アプローチが興味深く印象的でした。一方で、彼女と同じ表現をその辺の無名の人間がやったところで、ただの変わり者扱いされて終わるだろうとも思うわけです。人を強烈に惹きつけるカリスマがあってこそ、主張に説得力が生まれる。その人の生き様とか理念とか、キャラクターやネームバリューまで含めて、一見アートとは無関係なバックグラウンドが「変人」と「アーティスト」を区別する。
僕は自称アーティストや自称芸術家の人達でよくありがちな、正直よく意味がわからない作品や表現の多くが独りよがりで自己満足の世界に終始しているのを見ると、嫌気がさします。それは自分がそういうただの自己満足に陥りたくないからです。美術でも音楽でも、それがアートなのかエンターテイメントなのか、それともただの自己満足の趣味なのか、決めるのは表現者ではなくて受け手なのです。ミニマルミュージックなんだ!と主張して、意味もなく不協和音の繰り返しを垂れ流したところで、誰が感動するのでしょうか。とここまで書いているうちに話がそれてしまったので、もう終わります。
合間を縫って東京現代美術館のオノ・ヨーコ展に行ってきました。一般的にオノヨーコのイメージにありがちな「平和」や「自由」主義どうこうより、彼女の初期作品のミニマルな現代音楽的アプローチが興味深く印象的でした。一方で、彼女と同じ表現をその辺の無名の人間がやったところで、ただの変わり者扱いされて終わるだろうとも思うわけです。人を強烈に惹きつけるカリスマがあってこそ、主張に説得力が生まれる。その人の生き様とか理念とか、キャラクターやネームバリューまで含めて、一見アートとは無関係なバックグラウンドが「変人」と「アーティスト」を区別する。
僕は自称アーティストや自称芸術家の人達でよくありがちな、正直よく意味がわからない作品や表現の多くが独りよがりで自己満足の世界に終始しているのを見ると、嫌気がさします。それは自分がそういうただの自己満足に陥りたくないからです。美術でも音楽でも、それがアートなのかエンターテイメントなのか、それともただの自己満足の趣味なのか、決めるのは表現者ではなくて受け手なのです。ミニマルミュージックなんだ!と主張して、意味もなく不協和音の繰り返しを垂れ流したところで、誰が感動するのでしょうか。とここまで書いているうちに話がそれてしまったので、もう終わります。