近藤 嶺 official blog

2004年09月

 いかにも不健康そうに見える僕だが、意外に体はいつも元気なのである。その代わり、心の具合が悪くなる時がある。今日はそんな感じだったので、朝公園の散歩をしてみた。散歩は好きだ。こういう一見、仕事に悪影響がありそうな精神状態のときほど、逆に良い作編曲ができるのはなんでだろう。まぁ、モノを作るのには向いた性質なんだろう。

 うっかり飛び込んで気がついたらどこまでも真っ白の場所にいた。進んでも進んでも、滑って外に出られず、灼熱の真っ白い光が容赦なく降り注ぐ。あ、なんか下の方から良い曲が聞こえてきた。天国からのお迎えかしら。ああ、もう力が出ない。さようなら。  うちのスタジオの蛍光灯照明の中に入ったままくるくる走り回ったあげく、動かなくなった虫の気持ちを本気出して考えてみた。

 次回作に向けてスケッチを書きためている。こういう時は、無関係に見える物事が何かのインスピレーションにつながっていくので、ピアノやコンピュータに向かうだけではなく、哲学から新撰組まで適当に面白そうな本を読んだり、チキンを食べたりする。ハチの巣も退治する。ショットガン式の殺虫剤は効果抜群で、ハチ達が根こそぎボタボタ落ちてきて、気色悪かった。本当は一ヶ月くらい、辺境の地へ旅に出たいです。虫のいないところ。  9.11の悲劇から3年。11日に何か書こうと思ったが、言葉に悩んでいるうちに一週間過ぎてしまった。戦争反対って叫ぶのは簡単過ぎるけど、安易に(そして無責任に)書いて許されるような軽い話ではない気がするので、いつか落ち着いたら書きます。  エアコンのフィルターを掃除し忘れたまま使っていたせいか、咳が止まりません。みんな気を付けてね。肺にカビがはえるらしいよ。カビるんるんっていたなぁ。カビのくせになんでそんな幸せそうな名前なんだ!

 最近またMax/MSP(音楽、音響研究用のプログラミング環境)を勉強中。時間が空いたらMaxで遊ぶ。気晴らしにMax。3度の飯よりMax。思い立ったがMax。決してスーパーモンキーズではありません。悲しいかな未だに1パーセント程度も使いこなせていないが、今は、ひたすら病的にランダムな音程を出力し続けながら、それをリバーブやフィルター、ピッチシフトに並列に通して混ぜるという、自分で言っていてもよく意味がわからないパッチを、見様見真似で作ってみたりしている。ただこれが完成したところで使い道が全く見えてこないのが問題ではある。道は険しい。   地震はあるし、台風はやたら上陸するし、今年の夏は猛暑のわりに蝉があまり鳴かなかったし、何かの前触れのような気がする。

 音楽を作っている時に悲しいのは、その作業中は、他の自分が好きな音楽を聴くことができない、ということです。僕は最近びっくりするほど趣味の音楽鑑賞をしていません。かわりに勉強用や資料として聴く音楽が増える一方です。それはそれで良いことだとは思うけれど、聴き方が「この曲のキックの音がいい」とか「16小節目のコードがいい」とか「あー、やられた〜」とか、変な視点(?)で聴くようになってしまって、あまり純粋に音楽を楽しめないのが悲しいのです。唯一の解決法は、自分が聴きたい音楽を自分で作ることです。  それともう一つ、出来上がった曲を知らない人が初めて聴いた時の気分を、作者本人は絶対に味わうことができない。初めて聴いた時に「ああ、いい曲だ」って鳥肌が立ったり、「あー、つまんねー」と腹が立ったり、一番大事な第一印象を自分では感じ取れないのが悲しいのです。  解決法は・・・10年くらい経ってから聴いてみるとかね。でも、10年後に聴いたら恥ずかしさのあまり絶叫しながらスピーカーを持ち上げて街中をくるくる駆けめぐりそうなので、根本的解決にはならないなぁ。

 久しぶりに中学時代の友人と会って飲んで話して楽しんだ。僕の中で、中学校時代というのは今の自分を決定づけた濃い時期だったので、当時周りにいた仲間と久しぶりに会って話すのは、単純に楽しいし、これまでの自分を振り返る良い機会でもある。 その彼も、他の同級生達も、みんなそれぞれに頑張って、何かを悩んで、でもちゃんと人生を楽しんでいるんだなぁと、嬉しくなる。ほとんど会う機会は無いけど、決して縁が切れてしまうこともないような気もする。なんだろうねぇ。7年前、21歳の自分が何をしているかなんて、考えていたかなぁ。どうだったかなぁ。軟骨カラアゲなんて食べたりしなかったもんなぁ。と意味も無く感慨にふけったりして。そして、これからの何年間か、20代の間にやらなきゃいけないことや成し遂げるべきことが山ほどあることに気付いて、楽しくなった。 飲み屋の店員さんが料理を持ってくるたびに「申し訳ございません」と謝ってくるのが、謎だった。

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