近藤 嶺 official blog

2008年05月

「もったいない」という言葉は日本独特のものだそうで、
エコが叫ばれるここ数年、「MOTTAINAI」キャンペーンとして
世界に広められようとしているそうです。

同じく日本人独特の感性、美的感覚といわれているのが「もののあわれ」。
辞書で調べても、「様々な事象に触発されて沸き起こる、何ともいえぬ情感」
みたいなことしか書いていないので、
もうニュアンスでしか言いようがないのですが、
自然の物に共感して、そこに風情を表現できる感覚とでもいうのでしょうか。
「国家の品格」にも書いてありましたが、
英語で、これに対応する言葉は存在しないそうです。
俳句とかお茶とか、お花見など、日本ならではの文化って
みんなこの情緒から生まれているものですよね。

最近、「切ない」という言葉を英語にしようとして辞書で調べたら、
なんと、「sad」と出た。
ち、違う!
「悲しい」と「切ない」って違いますよね。
「pathetic」だと、「哀れ」とか「痛ましい」ってニュアンスを感じる。
普段普通に「切ない」って言葉を使っていますが、
これも日本人独特の感性に根付くところが大きいのでしょうか。

そのおかげで、他の国の人に見えないものが見えているのなら、
日本に生まれたことを本当に誇りに思いますね。

「切なさ」っていうのは、僕が音楽を書くときの原材料の1つでもあります。
意図した「切なさの表現」や「切ないメロディ作り」みたいな安っぽいことは嫌いですが、
「切なさ」「もののあわれ」のような「なんとも言えない、もやもやした情感」を
言葉で表現できないかわりに音にするということです。
できたらいいなと思うのです。
それは音楽のカテゴリーの問題ではなくて、
例えどんなに無機質な音であっても、その「なんともいえない感じ」は込められると思うわけです。
ピアノ一本でも、オーケストラでも、電子音でも、ノイズでも。
そういう音楽が好きです。

そもそも、言葉で表現できることなら、わざわざ音楽にする必要がない。
詩をかけばいい。

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書けていないメールの返事がたまってしまいました。

写真はこの頃手放せない、携帯用のりたまです。
別にいつも携帯しているわけじゃありませんが、
外泊の時には持っていくでしょう。

今、家のご近所がリフォーム中のようで、
うちのマンションのエレベーターに、傷汚れ防止のシートが貼ってあります。
そこで、傷にまぎれてこっそり顔を書いてみました。
すみませんでした。

数日後、目と鼻だけだった顔にいつのまにか輪郭がついていました。
そこで、今度はこっそり髪の毛を3本書き加えてみました。

また数日後、胴体がついていました。
そこでさらに、こっそり足を生やしてみました。

また数日後・・・

そんな感じで、なぜか見知らぬ誰かと始まったお絵かきリレー。
どんどん絵が大きくなっていって収拾がつかなくなったんですが、
もうすぐ撤去されてしまうのが名残惜しいです。

インターネットを使ったコラボレーションや、
その匿名性などが話題になって久しいですが、
それをアナログでやってみるのも、手触りがあって面白いですね。
対話感があるんですね。
でも落書きはやめましょう。
真面目な話に持っていこうとしていますが、落書きですからね。だめですね。

見知らぬ誰かが美女であったりする展開も、
残念ながら期待できないので諦めましょう。

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このところ更新が滞り気味で申し訳ないです。
作曲しております。

実家にはおなじみ「ムギ」と「マメ」と「ネギ」と「ヒジキ」(半分ノラ)という3匹半の
猫がいたのですが、長老の「マメ」がとうとう他界してしまいました。
マメは僕が小学校4年生の頃にうちに来たので、15年くらいでしょうか。
僕の担当の猫だったのですが、死に目に会えず悲しい。

マメはとても良くできた猫だったのです。
日本語がそこそこ通じる、人間味のある猫でした。
そんなわけでとうとう我が家は、ムギとかネギとか、
頭の悪い怪しげな方々ばかり残ってしまいました。

・・・と、思っていた矢先、なんとマメが死んでしまった同じ日に、
「ネギ」が子供を4匹も生みました。
命が消える一方で、新しい命が・・・!
感動的なのか、ありがた迷惑な話なのかよくわかりませんが、
結果的に、猫の数が倍になってしまったようです。

写真は、生後2週間くらいの様子です。わかるかな?
全部は飼えませんが、
頭に黒い丸のついたやつを「まめ」(3代目)と名付けて飼うことになりそうです。

ちなみに父親は、ヒジキっぽいです。い、いつのまに・・・!

実家の出来事なのでまだ直接見ていませんが、
こんなに小さいと、こう、机の上に並ばせたりしてみたいですね。

暑くなったと思ったら、ここ数日かなり寒いですね。
風邪などひかれた方も多いのでは!?

中国の大地震、本当にお気の毒です。
被災者の皆さん、早く落ち着くと良いですね。

最近関東地方も地震が多いのです。しかも、夜中によく揺れる。
家がマンションの上の方なので、小さい地震でも地上より揺れるのです。怖い。
僕はだいたい夜中も仕事しているので睡眠中に埋まるような危険は無かったですが
まだまだ油断できません。みんなで気をつけましょう。

そんなわけで、人生何が起こるかわからない。
スタジオでコンピュータ使っているような時に、地震とか落雷や停電があると
とても悲しいことになるので、
新しくUPSを導入したり、バックアップのハードディスクを増やしたり、
電源コンセントを良いものにしたり(ノリでやってみたら音が変わった)と、
地味に環境を整えている今日この頃です。

いま悩んでいるのがスコアを書くためのスタンド。
去年から使っている机は、ものを書くのにはちょうど良いのだけど、
「パソコンのモニターもみつつ、鍵盤も弾きつつ書く」にはどうも今ひとつ。
腕の移動距離が多いのが気持ち悪くて仕方がないのです。
他人から見たら、微々たる差なのかもしれないけれども。
ピアノだけを使って書く場合、鍵盤と同じ正面に譜面立てがある。
本当はあの状態が一番書きやすい。でもなかなかそう簡単にいかない。

ひとつ、角度を変えられるテーブルを使って解決できそうでしたが
微妙に大きくてデザインが美しくないので、却下。
安定した譜面台を探してみています。
でも普通は演奏用だから書く専門には向いてないでしょうね。

いっそ自分で作ったらいいんじゃないの!?
って方向へ向かっております。

本当はレイアウトとか一新すれば良いのかもしれないけど
それは考えたくないので、考えません。

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この2ヶ月くらい、料理するというと8割くらいカレー。
今日もカレー。
作るの楽だし、作っておけば何食かもつし。
でもバリエーションに限界を感じて、飽きてきました。
良いスパイスとか、入れると美味しい具があったら教えてください!
(ぼくは、手羽元とじゃがいもメインが定番です)

ゴールデンウィークは、無いような感じで過ぎてしまいましたが、
最終日に、東京国際フォーラムへコンサートを聴きに行きました。
「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 熱狂の日 音楽祭」。
連休中ぎっしり、一流のプログラムが揃っていて
低料金、時間も1プログラム1時間くらい、行きたい公演だけ気軽に行ける、
ハシゴもできる、いいイベントでした。全部で400公演くらいあったそうです。
日本って、こういう音楽フェスティバルって一般的じゃないですよね。
もっと、頻繁にやって欲しいし、やるべきだと思う!!

今年はシューベルトがテーマだったのですが、
モーツアルトのレクイエムと、メンデルスゾーンやロッシーニ等の
室内オケも聴いてきました。
レクイエムに感動。コルボ指揮。
見ながら聴こうと思ってポケットスコア持って行ったけど、
目を離すのがもったいない気分でした。

クラシックオケの公演聴きに行ったの、ちょっと久しぶりです。

最近の、行動とか。

・東京都写真美術館へ、ヴァイオリニストのツルノリヒロさんのコンサートを聴きに行きました。
 開催中の「シュルレアリスムと写真 痙攣する美」展関連企画ということで、
 シュルレアリスムをテーマにしたオリジナル曲を演奏されていました。
 シュルレアリスムはアートの中で一番好きな世界なので、
 いろいろと面白い発見が!

 この日一番の収穫は、オーボエの音色の魅力に気づいたことでしょうか。
 次はオーボエか!?
 あの音が入ると、とたんにジブリ映画っぽくなる気がする(笑)

・最近、蟻を見かけなくなった気がしてなりません。
 皆さんそう思いませんか?
 昔は、アスファルトの上でもよくウロウロしていました。
 体育の時間とか、足に登ってきたりしてね。
 今はその辺歩いていても、蟻が歩いてるところ滅多に見ないような気がするのです。

 はたして、僕が成長して地面から目線が遠くなったせいなのか、
 視力が落ちて見えていないだけで実際はそこら中にいるのか、
 都会の荒波にもまれて彼らがいるような場所から遠ざかってしまったのか、
 環境の変化で本当に減っちゃったのか、どうなんでしょう。難しいことはわかりません。

・音楽ねた。綺麗な和音を作るより、不協和音を作る方が難しい!
 思えば、小綺麗な音を作るのって、すごく簡単なんです。
 音楽的な気持ち悪さを作るほうが、何倍も大変。

 不協和音にしても、テンションやクラスターや、
 微分音みたいな技法や理論はあるけれども、
 最後は感覚的な判断で落としどころを決めることになるので、とても悩みます。
 そもそも「気持ちいい、悪い」って言っている時点で、感覚の問題なのですが。
 ピアノが鳴らせる目一杯の不協和音だったら、バンっと88鍵同時に叩けば出ますね。
 そこまでいくと、もうノイズでしかない。
 そこを到達点として、どこで立ち止まるかって問題。
 一部のエレクトロニカとか現代音楽に感じるような疑問、
 「音楽って何なのよ?」ってところにも、行き着いてしまいますね。

 汚い響きと、綺麗な不協和音は全く別で、美しくない協和音、ってのもある。
 印象としての話ですが。
 どっちも奥が深くて、途方もなく広い世界に感じます。

・世間はゴールデンウィークだそうです。忘れてた。

・Macがそろそろ限界

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