先日、今年も誕生日を迎え、最後の親知らずも抜いたので(関係ない)
また一つ大人になったかなと、
一年を振り返りながら年内の制作追い込みをしています。

それで、うっかり30年以上、振り返ってしまいました。

たまに物好きな人に、いつ作曲を始めたの?とか、
小さい頃どんな子供だったのか?とか聞かれることがあるのですが
正直、幼少の記憶なんて曖昧なもので放っておくと忘れてしまいそうなので、
自分のために記しておこうと思います。


今の僕を作り上げた造形作家の母(と言うと本人は嫌がるのだが)慶子の証言では、
一歳までテレビ無しの生活、その頃は、すずめの鳴き声、
猫と人の声、風の音などを聴いて育つ。育ての母はヨネという猫。
ヨネは凄い猫だった。 
音楽や楽器は、日常的に存在。

幼児期から好きだった音楽は、Chick Corea、Johann Strauss、
Jean-Michel Jarre、Richard Clayderman、バロック音楽、プログレなど・・・ 
可愛げのない生意気な幼児である。

1歳のとき、新年ウィーンニューイヤーコンサートを見ながら指揮して興奮して、
夜中にひきつけを起こす。
作曲らしきことをはじめたのは4歳頃。

色々な習い事や教室へ通ったのですが、興味のないものは即止め、
最後に音楽関連(ピアノやエレクトーンなど)だけ残りました。
スイミングスクールなんかにも行っていたけど、早々にやめてしまった覚えがある。
(その後、上手に泳げるようになるのだが、二十歳くらいの頃プールで溺れかけて以来、水は苦手)

幼稚園の卒園文集に おとなになったらオーケストラの指揮者になる!と書きました。
だから僕はそのまま音楽家になったのでしょう。指揮者ではないけれども。

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嘆かわしいことに、絵心は成長しなかったもよう。

エレクトーンは、音遊び感覚でやっていて、分解して構造を研究してもいいともいわれて
中学時代までずっと続けましたが、当時から興味は、音楽と音と機械いじりだった。

一方で「電源を入れなければ音がでないものは、本来の意味での音楽ではない」という、
現代から考えれば少々偏った考え方をしていたのだが、
今でも本質的な部分では、この考えは変わっていない。ピアノの音が自分の原点なのだ。

こうして「年齢一桁」の点をポツポツと振り返っただけで、
自分の根幹がもう凝縮されているようで面白いです。
我が母の代表作・・・と言っていいのか悪いのか。
おそらく、30年後に今を振り返っても、
自分は大して変わっていないとボヤいているのでしょう。
この変わらない根幹に粛々と、日々水を与えていこうと思います。

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晴れ舞台で寝癖が目立っているあたりも、今と変わらず。

今年も残りわずかになってきましたが、
年内にお知らせ情報あると思いますので、また後日に。